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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)2004号 判決

控訴人 伊藤光治

被控訴人 三木芳武

主文

原判決を取り消す。

控訴人が別紙目録記載の二号地を要役地とし、同目録記載の甲地を承役地とする通行地役権を有することを確認する。

被控訴人は控訴人が右甲地を通行することを妨害してはならない。

被控訴人は右甲地上に建物、塀、生垣その他の工作物を設置してはならない。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は控訴代理人において、土地の賃借権者も地役権者となり得ることは民法第二八一条第一項本文後段の規定によつて明白であるから、要役地の借地権者も地役権を時効取得することができるものと解すべきで、有力な学説もこれを認めている。仮りに従来の主張がいずれも理由ないとすれば予備的に順次、次のように主張する。すなわち訴外横山よしえは昭和七年ごろ木造建物所有の目的で本件土地中二号地及び甲地乙地を当時の所有者加藤長五郎から賃借し、二号地上に本件家屋を建築し、甲地及び乙地は道路として通行するため使用していたので、右甲乙両地もまた右建物所有の目的のためにする借地権の対象となるものである、そして控訴人及び訴外伊藤てるが本件家屋所有権とともに右借地権を承継したが、昭和二十四年三月控訴人が右二号地及び乙地の所有権を払下によつて取得したのでその限度で右借地権は混同によつて消滅したが、甲地についてはまだ借地権は存続しているのである、もつとも前記横山と加藤との間で賃料を定めるにつき二号地と甲地乙地とを一括して定めた関係上、二号地と乙地の借地権が消滅したさい、残つた甲地のみの賃料は未定の状況となつたが、その額のとりきめをしない内に争いとなつて今日にいたつているに過ぎない、よつて右甲地の賃借権にもとずき被控訴人に対し控訴人がこれを通行することの妨害の禁止及び地上工作物設置の禁止を求めるものである、また本件二号地は乙地のほか公路にいたる道なく、乙地のみによつて公路に通ずるためにはせますぎてその用をなさない、従つて二号地は事実上袋地と同様の状態にあるので民法第二一〇条を類推し、二号地所有者たる控訴人は二号地利用のため必要量少限度において囲繞地たる甲地を通行する権利がある、よつてこの権利にもとずき前同様の通行妨害禁止及び工作物設置禁止を求めるものである、さらに本件甲地及び乙地(但し三号地の東側を除く)は建築基準法第四二条第二項にもとずき昭和二五年一一月二八日東京都告示第一九五七号をもつて指定された土地であり、同法第四四条第一項によつて何びとといえども同地上に建築物を築造し、又は擁壁を設置することができない、しかして右禁止に関し重大な利害関係ある控訴人は条理上他人に対し私法上の禁止請求権を有すると解すべきである、よつてこれにもとずき被控訴人に対し地上工作物の設置禁止を求めるものであると陳述し、立証として当審における証人柴田浩次、同坂井昇二郎の各証言及び検証の結果を援用し、被控訴代理人において控訴人の右賃借権に関する主張は時機に後れた攻撃方法であるから却下を求めると述べ、立証として当審における検証の結果を援用した。

理由

東京都大田区馬込町東三丁目八一五番宅地二八〇坪(別紙見取図表示のB・C・D・E・F・G・Bの各地点を順次結ぶ直線によつて囲まれた部分)がもと訴外加藤長五郎の所有であつたが同人はこれを昭和十一年中訴外蔵方武雄に譲渡し右蔵方の所有となつたところ、同人は昭和二十二年六月財産税納付のため右宅地を物納した結果、国が右宅地を所有するにいたつたこと、右宅地は昭和二十四年春ごろ国の手により次の四筆に分筆されその旨登記されたこと、すなわち(一)同町八一五番の一宅地一〇九坪三合(別紙見取図表示の一号地すなわちI・C・N・M・Iの各点を結ぶ直線により囲まれた部分と、同図面の戌地すなわちM・N・D・J・Mの各点を結ぶ直線により囲まれた部分とを合せた地域)、(二)同番の二宅地六九坪七合一勺(同図面表示の二号地すなわちH・I・M・L・K・Hを結ぶ直線に囲まれた部分と、同図面の乙地すなわちF・G・K・L・M・J・(ハ)(ロ)(イ)Fを結ぶ直線に囲まれた部分とを合せた地域)、(三)同番の三宅地七三坪四合八勺(同図面表示の三号地すなわち(ヘ)(ホ)(ニ)E・(ヘ)を結ぶ直線に囲まれた部分と、甲地すなわち(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(イ)を結ぶ直線に囲まれた部分とをあわせた地域、但し(ホ)点において三号地の角はいくらか三角形に削られこの部分は甲地の範囲に加えられる)、(四)同番の四宅地二七坪五合一勺(同図面表示の四号地すなわちB・H・O・P・Bを結ぶ直線に囲まれた部分とT地すなわちP・O・K・G・Pを結ぶ直線に囲まれた部分とを合せた地域)、以上、昭和二十四年三月控訴人がそのうち右(二)八一五番の二宅地六九坪七合一勺すなわち図面表示の二号地及び乙地を、また同じころ被控訴人が右(三)同番の三宅地七三坪四合五勺すなわち図面表示の三号及び甲地を、それぞれ国から払下を受け所有権を取得し、いずれもその旨所有権取得登記を経たことは当事者間に争ない。

控訴人は控訴人が国から前記二号地及び乙地を払下により譲り受けるとき、同じく国から三号地及び甲地を払下により譲り受けた被控訴人との間に、右甲地はこれを二号地所有者の通行の便益に供し、乙地はこれを三号地所有者の通行の便益に供する旨の明示もしくは黙示の相互の通行地役権の設定行為がなされたと主張する。

まず成立に争ない甲第一号証の一ないし三、甲第二号証の一ないし四、原審における証人横山よしゑ、同宮下義一、当審証人坂井昇二郎、同柴田浩次の各証言、原審及び当審における検証の結果に本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば次の事実を認めることができる。すなわち、本件当初の八一五番宅地二八〇坪は、訴外加藤繁雄(同人は前記加藤長五郎となんらか関係あるものと推測されるが本件にはこれをたしかめる証拠がない)所有の隣地同町八一六番宅地六一坪(同図面表示の五号地すなわちA・B・P・Q・Aを結ぶ直線に囲まれた部分と、丙地すなわちQ・P・G・F・Qを結ぶ直線に囲まれた部分とを合せた地域)とともにほゞ矩形をなす一団の住宅地で、南さがりの傾斜地にあり、その東側及び西側の両辺においてそれぞれ南北に通じる各公道に接しているものであるところ、昭和七、八年ごろ当時の所有者加藤長五郎においてこれを住宅用貸地とすることとし、これを別紙図面の一、二号地(はじめは一括)三号地及び四号地の三個の部分に事実上分割するとともに、その間に土地利用の便益のためこれらの宅地を東西に二重カギノテ状に横断する別紙図面甲乙丙丁戌からなる私道を設け、一、二号地は一括して訴外横山よしゑ(控訴人の姉)に建物所有のために賃貸し、横山は右一号地上に家屋を建築所有したが、その後横山は右家屋を一号地の借地権とともに訴外橋本平男に譲渡し、別に二号地上にその実母伊藤テルのためテル名義で木造瓦葺二階建居宅一棟建坪十八坪一合六勺六才外二階九坪七合五勺(以下B建物という)を建築したが、その後右テル死亡により遺産相続の結果右B建物は控訴人、横山及び宮下義一(控訴人の実弟)三名の共有となり、そのころから引き続き現在まで右宮下が居住している。一方右三号地もつとに建物所有のため賃貸せられ、その地上には木造瓦葺二階建居宅一棟建坪二十八坪外二階十二坪(以下A建物という)が建築され、少くとも昭和十九年十二月二十日ごろには訴外有光末吉においてこれを所有し(従つて同人はとくだんの事情のない本件では右三号地上に借地権を有したものと推定すべきであるが、これが同人において当初の地主加藤から借地したのか、次の地主蔵方から借地したのか、それとも他のなんびとかの借地権を建物とともに譲受けたのか等の点は本件で明らかでない)、同日被控訴人は右有光からA建物を(従つて有光の借地権をも)買い受け所有権を取得し、引き続きこれに居住している。また四号地は訴外浅沼広文(その後死亡)においてこれを建物所有のために使用し、五号地は加藤繁雄の所有に属するが現に建物が存し建物所有のために使用されている。そして本件土地が宅地として利用されることとなつた当初から右甲乙丙丁戌からなる私道は存し(五号地とその南側の私道敷丙地の所有者は加藤繁雄であること、同人と加藤長五郎との関係が明らかでないことは前記のとおりであるが、もし当時五号地と丙地が右長五郎の所有でなかつたとすればその間十分な話合があつたものと推測される)、これらのうち一号地は東側の道路へ直接門を設けているので、その敷地の利用上私道の利用価値は比較的減じたが、東側公道は西側公道にくらべて幅もせまく、南方へ出るには二カ所も石段を通らなければならず、この私道によつて西側公道への通路を有することは便宜であり、二号地及び四号地はこれらの私道によるのでなければ東西いずれの公道にも通じない囲繞地となるのであり、また三号地及び五号地は図面上は西側道路に接着しているが道路と敷地の平面を異にするいわゆる「崖岸」によつて接着しているのみであつて、直接その敷地内に西側公道からの階段を設けるのでなければ右私道によつてそれぞれの土地へ出入する外はない状況にあり、三号地上にある被控訴人所有A建物の勝手口は三号地東側私道に面しており、これへの往来にも右私道が利用されており、結局右私道は当初から全体として右一号地ないし五号地の利用のために供せられ、当初右私道を設けた加藤長五郎は右各貸地の地代の一坪当りの単価が当時の一般にくらべて高いのはこの私道敷を永久に借地人らの共同使用に提供するからであると説明していたくらいであつて、とくに二号地ないし五号地の利用のためには現在においてその面積の多少、位置のいかんはともあれ、全く不可欠のものである。さらに同図面中甲乙(但しいずれも三号地東側の部分を除く)丙丁にあたる幅員約九尺の部分は建築基準法第四二条所定の道路に該当するもので、二、三、四、五号地上の各建物はこの道路にいわゆる建築線を開くことによつてはじめて適法なものとなるべきものであり、しかも現場においてこれら一号地ないし五号地の利用、美観、保健等の観点から、甲乙丙丁戌からなる私道が欠くべからざるものであることは現地を一見すればなんぴとも容易に理解し得る関係にある。そして前記蔵方から物納を受けた国はこれを各借地人ないし建物利用者等に分譲払下げる前提として前記のとおり八一五番の一筆を同番の一ないし四の四筆に分筆したがそれらの各区域は現地の利用状況に即して前記一ないし四号地とそれぞれこれに接着する戌、乙、甲、丁(丙地は八六一番の一部)の私道敷との部分としたものであるという次第である。

次に原審証人山口吉雄、同石塚正之助、同三木保子、同横山よしゑ、同宮下義一の各証言及び被控訴人本人尋問の結果に前認定の事実をあわせれば次の事実を認定するに十分である。すなわち昭和二十三年暮大蔵省が右宅地二八〇坪につき国有財産払下の広告をしたところ、被控訴人は同人が従来賃借していた右三号地の払下を受けるべく申出をしたところ、当時大蔵省に代つて右払下事務を取り扱つていた訴外中央信託株式会社の係員山口吉雄から払下は三号地の外私道部分(三号地東側の甲乙両地-但し二号地南側の乙地を除く-と三号地北側の甲地部分約三尺幅)とをあわせて買い受けるよう求められたのでこれに応じてあらためて右三号地と右私道部分の払下を受けるよう申出た。一方控訴人はその姉や弟である横山や宮下を代理人として国すなわち前記中央信託に右二号地の払下を交渉せしめたがそのさい宮下らは被控訴人が右三号地とともに私道敷にあたる前記範囲の甲乙両地をも払下を受けようとしていることを知つて右中央信託係員に対し強硬に抗議し、とくに右山口の上級係員である石塚政之助に払下は現状に即して甲乙等私道敷は従来どおり道路として使用すべきことを条件とされたい旨申し入れ、所轄庁たる大蔵省側でも土地分割は合理的に行うべく、乙地は被控訴人に対する払下より除外するのを可とするとの意向を示したので、中央信託の係員石塚は被控訴人に対し土地は現状のまま使用するようすすめ、被控訴人はさきの払下の申出を譲歩して乙地(三号地東側)はこれを控訴人に払下げることに同意し、自分は結局三号地及び甲地の払下を受け、控訴人は二号地と乙地との払下を受けた。また一号地と戌地とは八一五番の一宅地一〇九坪三合として訴外橋本きみにおいて払下を受け、四号地と丁地とはそのままなお国の所有に留保され、被控訴人が昭和二十八年十一月本件工作物を作つて右私道部分を使用しようとするまでは現地においては従前どおりの使用状態が継続され、その間互いに賃料その他の対価を右通行につき相手方に支払つたことはないという次第である。

以上認定の各事実によつて考えれば、控訴人及び被控訴人が国から本件各土地の払下を受けるについて、当事者間に控訴人主張のような明示の意思表示をもつて相互に通行地役権を設定したという形跡はなく、各関係者のいうところも通行地役権設定という名の契約をしたことはないとするものであるけれども、当時国有地払下の所管庁である大蔵省としては分筆払下は合理的になすべきものとの方針をとつており、本件において合理的な分譲ということは、すでに事実上分割されて各借地人の使用にまかされていた現地を、それぞれの使用状況に変更を加えることなく各借地人に分譲するとともに、その各地のために存する私道は私道としてそのまま各自の利用に供せられるよう現状を維持すべく処置することをこそいうことは現地を一見すれば容易に理解すべきことであり、現に道路敷となつている甲乙丙丁戌からなる私道は、事に当つた各人には従前どおり道路敷としてそのまま存置さるべきものとして了解され、その了解の上に右私道敷は甲乙丙丁戌の各部分に分割され一号地から五号地の各所有者の所有に分属せしめられ、払下を受けた各人はその所有に帰した私道敷の坪数についても対価を支払つたけれども、これら各人に分属せしめられた各私道敷はそれ自体各所有者の自由な排他的使用収益にまかされたものではなくて、従前のままの道路敷としての負担を負うたまま、たゞ各地の所有者にその負担の公平を期するためになされたものであつたというべきである。一号地ないし四号地を分譲し、私道を現状のまま各所有者の便益に供する方法は必ずしも一、二に止らないけれども、当時払下事務を代行した中央信託の係員らにこの点についての十分な法律的技術の理解がなく、かつ分譲地の外に国有地としてわずかな私道敷を残すことをさけ、全部を一坪も余さず払い下げようとしたため、結果において右私道敷を分割して各人の独自の使用収益にまかせたかのような外観を呈するにいたつたものと解すべきである。

原審における証人三木保子被控訴人本人らは三号地と合せて甲地を建物敷地として使用したいし、そのために払下を受けた旨供述し、被控訴人が本件甲地を合せて敷地一ぱいに使うことは被控訴人自身には西側以外には公道に出られないという不便さえ忍べば、かえつて便益が多いことは察し得られるところである。しかし所有権を取得したから自由に排他的な使用ができるのだとするのはあまりにも単純な考え方であり、かような考え方は現状において他の乙、丙、丁、戌(丙は払下の対象ではないが)の各地域がいずれも前記のようにそれぞれ一、二、四、五号地の所有者に分属せしめられ、各所有者がこれを自己の用途にのみ供するときはたちまち現状は変更し四号地は全く公道への通路を失い、二号地及び五号地がそれぞれわずか幅三尺の通路で西側公道にのみ通じるに過ぎないこととなることを思えば、とうてい是認し得ないものというほかはない。すなわち右のように完全に囲繞地もしくは袋地になるような結果を招く如き分譲がされるはずはなく、被控訴人ひとりが甲地を道路敷としての負担のない所有権を取得し他の乙、丙、丁、戌等の私道敷は依然被控訴人をも含めた関係各地の所有者の利用に供せられるのだとすればその間全く権衡を失しきわめて不合理な結果を承認しなければならず、いやしくも国のした処分としてとうてい考え得ないものといわなければならない。被控訴人が右払下にあたり現状を変更し甲地を三号地と合せて敷地一ぱいに使うということを国や控訴人ら他の関係者に表明したことを認めるべき的確な証拠はないのである。

もともと地役権は一定の目的に従い、他人の土地を自己の土地の便益に供するため直接に支配することを内容とする物権であり、多くは設定行為、時には時効によつて発生するものであるが、ひとたび発生した地役権は人と人との関係をはなれて土地そのものに従属する。たゞ少くとも同一人がその所有に属する二個の土地のうち一個の土地(要役地)の便益のため他の土地(承役地)の上に地役権を設定するということは現行法のたてまえ上考え得ないから、本件土地につき私道を開設した加藤長五郎が右私道敷の上に他の土地のための地役権を設定したとみることは法律的に不可能であるが、その後これら私道敷が現状のまま分割されて各所有者に分属するにいたつたときは、その間に通行地役権の設定を考えることは少しも不合理ではない。かように考えれば前認定の事情の下に本件私道敷が私道敷として現状のまま分割されて各所有者に分属せしめられたことは、反対の特約その他別段の事情の見られない本件においては、そのころ当事者間に互いに甲乙丙丁戌の各地域につき一号ないし五号地の便益のためこれを通行し得べき旨相互的かつ交錯的な通行地役権が暗黙に設定せられたことを意味するものと認めるのを相当とする。すなわち一号ないし五号地の各所有者は互いにそれらの所有地のため甲乙丙丁戌の私道敷中自己の所有に属しない地域に通行地役権を有するとともに右私道敷中自己の所有に属する部分の上には他の所有者のため地役権を負担するものというべきである。

はたして然らば以上の関係のうち本件二号地と甲地との関係にのみ限定すれば、控訴人がその所有の二号地を要役地とし被控訴人所有の甲地を承役地とする通行地役権を有することは明らかというべく、被控訴人においてこれを争うこと自明な本件において控訴人はこれが確認を求める利益を有するものであり、右権利の確認を求める控訴人の請求は理由がある。

次に被控訴人が昭和二十八年十一月ごろ甲地内において別紙見取図(ヘ)点附近にある三号地所在A建物の門の東側にあたる部分に長さ約二間二尺九寸(そのうち東西に走つた部分約二間、斜めに曲つた部分約二尺九寸)幅約四寸高さ一尺一寸ないし一尺七寸のコンクリート工作物を築造したことは当事者間に争なく、右の如き工作物を設けること自体控訴人その他の甲地通行を妨害するものであることは明らかであり、被控訴人がこれらの部分を含む甲地につき私道敷としての使用を排して地上に建物、塀、生垣等工作物を設置しようとしていることは前記証人三木保子及び被控訴人本人の供述の結果並びに本件口頭弁論の全趣旨からこれをうかがい得るから、控訴人は右地役権にもとずき(少くとも地役権者の一人として単独で保存行為に属する事項は行い得る、民法第二六四条第二五二条但書)被控訴人に対し控訴人が右甲地を通行することの妨害の排除及び右甲地上に建物、塀、生垣その他の工作物を設置しないことを求め得べきものというべく、これを求める控訴人の請求もまた理由がある。

しからば控訴人の本訴請求は他の事由について審究するまでもなくすべて正当であるからこれを認容すべく、これと異なる原判決は失当であるからこれを取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第百九十六条第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)

物件目録

一、甲地

但し、東京都大田区馬込町東三丁目八百十五番の三宅地七十三坪四合八勺のうち、同宅地の西北端を(イ)点、東北端を(ロ)点、東南端を(ハ)点とし、(イ)点と同土地の西南端E点とを結ぶ直線上を(イ)点から南へ三尺の地点を(ヘ)点とし、(ヘ)点から東へ(イ)(ロ)の両点を結ぶ直線に平行に十間七分八厘の地点を(ホ)点とし、(ホ)点から南へ(ロ)(ハ)の両点を結ぶ直線に平行に五間四分の地点を(ニ)点とし((ニ)点は(ハ)点とE点とを結ぶ直線上にある)、右(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(イ)の各点を順次結ぶ直線によつて囲まれた部分。右各地点ば別紙見取図に附号をもつてこれを示してある。

二、二号地

但し、右同町東三丁目八百十五番の二宅地六十九坪七合一勺のうち、同宅地の西北端をH点、東北端をI点とし、I点と同宅地の東南端J点とを結ぶ直線上、J点から北方六尺の地点をM点とし、右宅地が西側隣地である八百十五番の四宅地二十七坪五合一勺の西南端と接する地点をK点とし、HK両点を結ぶ直線上をH点から南方へ十二間六分五厘の地点をL点とし、右HIMLHの各点を順次結んだ直線によつて囲まれた部分。右各地点は別紙見取図に符号をもつてこれを示してある。

(別紙) 見取図〈省略〉

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